メメント・モリ

約束の地へ【Saint Nazaire】

ひとりで欧州を旅行したのはもう10年も前のことだったんだ、と、フォトアルバムで確認をしました。

それまでアクティブな趣味を持たなかった私がバイクに興味を持ち、のちに教習所に通う原動力となったのが、ある友人の突然の死でした。

ハーレーを買おうか迷っているんだ、もっと馬力のあるヤツをね、という彼に、あら今のマシンも大きくて素敵じゃない?と返してみると、いやいやあれは僕にとってはまだまだ小さいんだよ、との答え。

いつかヨーロッパ中を旅してみようと思っている、と話をすると、彼は、「僕の両親はとても心の温かい人たちだ。いつか訪ねてみるといい」と言って、連絡先の住所と電話番号まで書いて渡してくれた。

ほどなくして彼は停車中の車にバイクで激突。首の骨を折って、祖国フランスへ物言わぬ姿で帰国しました。検疫の関係でご両親が遺体の顔を見られなかったと聞いたときには堪らなく切なかった。

彼の彼女は泣いていた。日本人の彼女が話すフランス語は京都弁に似て美しくて大好きだったが、それも聞けなくなってしまった。私は自分でフランス語を勉強することにした。

30を過ぎて亡くなった彼の年齢を越そうとしたとき、私は思った。彼は死んだ。私は生きている。バイクに乗りたい。乗ってみよう、と。論理的な説明はつかないけれど、多分、性別を超えて、私は、人として素朴で真っ直ぐな彼が大好きだったんだ。ロロ、どうして先に死んでしまったんだろう。あなたを愛するたくさんの人たちを置いて。

欧州周遊のチャンスを得たとき、私は片言のフランス語を携えて、約束の地であるSaint Nazaireを訪れた。彼の両親は遺された言葉のとおり、温かく私を迎えてくれた。

巡り巡って、私は現在の伴侶を得た。バイクに乗っていなかったら、今に至るたくさんの出会いも無かったように思う。ロロ、ありがとう。あなたは皆の中で生きている。私も幸せに生きているよ。